紺野昌彦氏への私念か?

以前より紺野昌彦氏について中傷する過去の記事が目に着きます。

特にここ数ヵ月、故意に検索エンジンで上位にしようとしている経緯が強く伺えます。現在その経緯や誰がどのよう行っているのかを追跡しています。

色々と解析する方法もあり、一定のレベルまでは調べれるかと思います。

 

現在では(過去かそうですが)色々と調べてくれる技術者も多く存在し、またGoogl等に直接懇願する方法もあります。

 

特に紺野昌彦氏についての根拠のない誹謗中傷記事は、2015年から2016年初頭の古いものばかりがSEOやクリックを重ねる方法で上位検索に上げていたり、また紺野昌彦氏に関連する正規の物を逆SEOに掛けるという手口のようです。

 

実際に根拠のない誹謗中傷というのは記事を読めば明白であり、あたかも紺野昌彦氏が詐欺氏である印象を植え付ける内容のもので、その文脈も根拠もお粗末です。

しっかりと読んで彼らの言う根拠を検証すれば薄弱なのは明白でしょう。

「聞いた」等の抽象的な内容ばかりで実にお粗末。

最近でもこのブログの主の書く誹謗中傷は多くの人へと派生しており、品の無い中傷ブログはエスカレートしているようです。

自身が何らの疑念や批評を書かれたならば、即に数倍、数十倍の批判、中傷を繰り返し、オマケに裁判まで始める始末。

他人の事は証拠薄弱でも。

自身のやっている事も同じと気付かないのでしょうか。 

現在新なに他の第三者に対する誹謗中傷を始めているようですがそれもまた根拠薄弱な内容に思えてなりません。

世も末ですね。

 

紺野昌彦氏への中傷ブログの検証

 紺野昌彦氏の中傷記事を検証してみました。大半の中傷記事は、メディアなどの報道ではなく殆ど私念を抱く個人のブログという性質が見て取れます。この記事は関係者とされる人間の「証言」(っていうか「噂」)のみを元に構成されていることに着目できることが全ての記事の共通項となります。

 
 こんな中傷記事を、仮にも元衆議院議員候補者がいかにもカンボジアのご意見版として配信したことを、鼻で笑うしかないのが率直な感想です。
 
仮に、紺野昌彦氏が、その「過去の事件」と関わりがあったとしても既に過去のことであり、法廷も終わり、法で明記されたまた、法廷で出た償いを終えて既に10年近くが過ぎているのを過去の報道他から掘り下げて探し、営業妨害や誹謗中傷に使うのは「なんだかな」という印象しか残りません。
 
 仮にそのような事が事実だとして、では10年過去まで追い求めて、個人の同業者のブログで書き綴るものなのでしょうか?
 
 私は当時から現在まで、当事者(被害者)でもある紺野昌彦氏とはFacebookで繋がっていますが、一見して多くの人と普通に交わり、さらには大きな社会貢献にもつながるビジネスを続けており到底、中傷ブログにあるような人格者として見ることはできません。
 
 そもそも新興国は、法整備の過程でもあり、法基準が認知されるまで一定の期間を有し、それまでの慣例の方が国民全体に浸透しているのが通例です。
 
 一般的に事例を元に営業されている店舗や企業が、より洗練されていく過程の新興国の状況から考えると、彼らの言う理論こそナンセンスと思わざるを得ないのが感想です。
 
 もちろん私は現地の法令に詳しい知識を持つ者でありませんが、その新興国に入り込み、開拓していうく日本人として立派な行動であったのではないかと考えていますし、少なくともただちに詐欺とう言葉が不適切なことぐらいは承知しています。
 
 そう考えると彼らのブログを読む限り、紺野昌彦氏の過去をいきなり暴きにかかった彼らの真意に疑念を抱かざるを得ないのです。
 
 要するに、中傷ブログは、紺野昌彦氏の人格を貶めたかったのではないだろうか?
では、どうして彼らは、紺野昌彦氏の世評を泥まみれにすることを狙ったのであろうか?
疑念はつきません。
 
 それは全くの同業者で同時期に紺野昌彦氏が日本の上場企業と同じカンボジアコンドミニアムの建設に従事していたからだという結論に至ります。
 
 実際に紺野昌彦氏はカンボジアを去り、誹謗中傷を仕掛けた側は、現在カンボジアコンドミニアムを数棟建設し、既に大きな生業を得ていることからでも明白でしょう。
 
 そんな悪評世論を作り上げ、現在もまた自身がカンボジアでビジネスを拡大するにおいて、邪魔となる人物や企業への攻撃、誹謗中傷を続けているのは、そもそも彼の人間しての資質、人としての欠陥としか感じ得ないのは私だけでしょうか。

紺野昌彦氏との出会い

ASEAN経済通の紺野昌彦氏との出会

 

紺野昌彦氏との出会いは前回のブログに書いたように、かれこれ25年ほど前にさかのぼる。筆者が大学を卒業し、初めて企業に就職したての事だと記憶しています。

彼は当時はまだ会社勤めのサラリーマンでありながら、既に副業で輸入代行業というビジネスと、飲食店のコンサル業を営んでいたのを今でも鮮明に覚えいます。

 

決して紺野昌彦氏を持ち上げ応援する趣旨のブログではありませんが、テスト記事として数回彼について書いてみたいと思います。

私よりも彼は年下でありながら、会社勤めで社会人としては先輩で、そして既に副業で複数の事業していました。

学生から新社会人になったばかりの私には、それが斬新で未知の世界に感じ当時は相当
輝いて見えていました。


同世代(アラフィフ世代)の皆さんも記憶にある方もいらっしゃるでしょう。

当時は日本は不動産バブルが崩壊したばかりで、好景気の余韻も影を残し世間はポケットベルから携帯電話(当時はアナログ回線)にシフトした時代で、巷には携帯電話のブローカーや当時流行りだしたばかりのPHSなどの勧誘を生業とした人も多く、少しでも所得を上げる努力は当たり前の時代でもありました。

紺野昌彦氏のブログで出てくるASEANの国々や中国は、そんな懐かしい時代を彷彿をさせる何かを感じるにはいられません。

そんなグローバルと呼ぶにはまだ早い時代に、彼こと紺野昌彦氏は既にアメリカを始めタイなどと貿易を始めていました。

1992、3年頃だったでしょうか。


私も一度、彼がアメリカに仕入れに行く時に同行した事がありました。
確かアトランタ、ダラス付近だったと思います。
当時はインターネットの普及もなく、まだ全てはアナログの時代。
アメリカとの通信は当時TELXと呼ばれる通信手段もしくはFAXが主流で、これらを駆使して入念に業者へのアポを取っていたのを覚えています。

同行したのは、アメリカのアウトドア用品メーカーや、アパレルメーカー。

当時彼は既に東急ハンズなどへの販路も持っており、アウトドア用のライトやグッズを卸売販売していました。

そしてアパレルに関しては、当時流行であったMA-1と呼ばれるフライトジャケットをアルファー社と呼ばれる、アメリカ軍の官給品会社の卸売業者から仕入れ、大阪のアメリカ村神戸元町の古着店やアパレルショップにも卸売していたのです。

記憶では20か21歳頃だったように記憶しています。

今でこそ起業という概念は当たり前になっていますし、学生起業家という言葉も目新しくもありませんが、この時代(今から25年以上前)に既に彼こと紺野昌彦氏は既に学生起業家として友人関係の間では君臨していました。

聞けば紺野昌彦氏の起業はちょうど17歳の夏との事でした。

25年が経過した現在の彼は、自身の会社が既に4社あり、アメリカの上場企業の幹部の名刺も持ち、7カ国でビジネスをし行っている強者となっています。

紺野昌彦氏のブログ

ただ残念なことは一度大きな営業妨害を受けており、年商を11億円を超えてた時点で日本の上場企業に会社をバイアウトした事でしょうか。

それについてもまた詳しくヒアリングした事がありますので書いてみたいと思います。

テストブログつづく

osaka007.hatenadiary.jp

紺野昌彦氏に触発され5年ぶりにBlogを開設

大阪出身の友人が書いているブログに触発されました。

以前にも少しブログを書いていたのですが長続きせず。

 

今回は少しでも長く続けられるように頑張ってみたいと思います。

このブログは経済や参考になった出来事や文献などを紹介して行ければと考えています。

 

触発されたブログは大阪出身で現在は沖縄に拠点を置いている紺野昌彦氏。

私の旧友でもあります。

紺野昌彦氏の書くブログはとても参考になります。私は従来は海外の経済やビジネスに

ついて全く興味も持ち合わせておりませんでしたが、紺野昌彦氏の書くブログを読み、


彼自身と定期的に接する事で、伝染してしまった一人でしょう。

いわゆる今風に言うと紺野昌彦氏はインフルエンサーの一人だと考えます。

彼との出会いは、今から25年くらい前でしょうか。

お互いがまだ大阪在住であった頃に遡ります。

彼のブログでは現在は沖縄を中心にタイ王国や香港、中国など複数の国々を股にかけた

ビジネスプレイヤーとして活躍していますが、当時はまだサラリーマンというポジショ

ンで某企業でお互い切磋琢磨していたものです。


このブログでは私自身のいろいろな視点、経験を踏まえ書き綴って行きたいと考えてい

ますが、定期的にこの紺野昌彦氏の足跡と生き様についても触れて行きたいと考えてい

ます。

それだけ彼は味のある誰にも真似のできない人生を歩んで来ているからです。

少し持ち上げ過ぎましたかな?